- 石垣島の戦争跡地「元海底電線陸揚室」通称「電信屋(でんしんやー)」が2021年8月27日に県指定史跡を沖縄県教育庁で決定後、各沖縄メディアを通して報道
- 沖縄戦で砲弾を受けた遺跡として建造物がそのまま現存
- 「電信屋」の当時の役割と歴史を紹介
石垣島の戦争跡地の1つ「元海底電線陸揚室」通称「電信屋(でんしんやー)」が、2021年8月27日時点で、沖縄県教育庁の「県指定史跡」決定したことを各沖縄新聞メディアにて報道されました。
これで石垣市の県指定史跡は、川平貝塚/フルスト原遺跡/先島諸島火番盛 遠見番所/電信屋の4つが県指定史跡となります。
「電信屋」とは
「電信屋」は1897年(明治30年)に建設された、日本政府が沖縄本島や日本本土、台湾間を結ぶ海底ケーブルを利用し、通信の中継基地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた場所です。
1894年(明治27年)の日清戦争終結後、日本が台湾を領有することになり、台湾を監視目的と植民地として必要なため、1896年(明治29年)に臨時台湾電信建設部を設立。鹿児島県肝属(きもつき)郡南大隅町大浜→奄美大島→沖縄本島→石垣島→台湾間に海底ケーブルが敷設されました。
場所と跡地の中
石垣島の電信屋の場所は、石垣市北西部・屋良部半島の大崎海岸へ降りる手前の平地にあり、面積736平方Mの小さな平基地となっております。
基地の中には、和式トイレ・石積・井戸も現存しております。
電信屋の外壁には沖縄戦(太平洋戦争)の際に、アメリカ軍の砲撃を受けた無数の弾痕も生々しく残されており、奇跡的にも基地自体、当時のまま跡地として残されております。このことから沖縄戦の数少ない跡地として、後世に語り継ぐ上でも貴重な遺跡として評価されています。
このことから、無断で現状を変更するような行いは市条例によって禁止されています。
現在は建造物に触れることはできず、ロープで立ち入り禁止されていることから、見学のみ可能となっております。ただし、観光目的で見学をしに行く場所ではないため、立ち寄るには躊躇してしまうほど道は狭く、凹凸で険しく、雨の日は特に控えた方が良いでしょう。
詳しい「電信屋跡地」の歴史は、下記のエントリー記事に掲載しております。