石垣島の電信施設の原点スポット!戦争の弾痕が見れる電信屋跡の歴史

 

「観光よりも石垣島の歴史の事実に興味があるかも。」

「弾痕があるならありのままの状態を見てみたいかも。。」

「歴史跡地の先にビーチがあるってほんと??」

地元の方でも以外と知らないのが俗に言う電信屋が石垣島にあります。

こんな方に向けて実際に現地に訪れた石垣島PR情報局スタッフが、電信屋で起こった事実を紹介しています。また、最低限知っておきたい基本情報を先に読みたい方はこちらからご覧いただけます。
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最低限知っておきたい基本情報はこちら!

 

石垣島にも戦争の跡はある。厳密には戦争の被害にあった建造物、といった方が正しい。表立った名所としてPRはしていないが、過去の石垣島の歴史がそのままの形で残っています。

南国離島の位置付けを築き上げた現在の石垣島とはかけ離れた、歴史という事実だけが物語る跡。今回の石垣島は、南国という位置付けではなく、石垣島の過去にあった歴史の一部を取り上げていきます。

電信屋について

まずは、動画をご覧ください。

 

これが電信屋とその先に広がるビーチです。

【関連】:電信屋跡のビーチの魅力を先に知りたい方はこちらからご覧いただけます。

呼び名は電信屋(でんしんやー)と言い、1897年に建てられた通信施設になります。この通信施設は、日清戦争(にっしんせんそう)終結後、日本と台湾の間に重要な通信役割を果たしていました。

電信屋を建てた目的は、日清戦争が1895年に終結した下関(しものせき)条約に大きく関係しています。戦争終結後、清(当時の中国)は台湾を日本に割譲(かつじょう)されました。

※意味:所有物・権利などの一部の領土を分け与えるもの。

沖縄は台湾と近い位置にあり、主に砂糖などの生産地として有用されていたようです。これにより日本は台湾領有の目的があったとされています。

↓↓↓下関条約を交わされた料亭

日本史bot ‏https://twitter.com/japanesehis_bot/status/682135184154558464

しかし、日本は戦争で勝利を納め、下関条約を交わし、日本が台湾を割譲したものの、この事は台湾側に一切知らされなかったそうです。このことを後で知った台湾は、独立すれば割譲する必要はないと考え、台湾民主国として独立宣言をします。

樺山資紀とはコトバンクhttps://kotobank.jp/word/樺山資紀-46090

日本側は独立を恐れ、急いで占領の手続きを勤しみ、樺山資紀(かばやますけのり『元海軍大将』)を台湾総督にし、清国の代表(中国の代表)と台湾受け渡しの手続きを急ぎました。

手続きを終えた後、樺山資紀が台湾に上陸し、台湾と日本の軍用海底にケーブルを繋げました。日清戦争では琉球の所属問題もあり、台湾の統治も含めて情報を得る効率的な場所が屋良部半島の石垣島だったようです。

以上のことから、海底電信線の中継地点として、石垣島に電信屋を設けたとされています。当時の日本はすでに、情報の重要性が認識されていたことがわかります。

 

電信屋の正式名称は元海底電線陸揚室

電信屋について、設置された経緯から弾丸によって痕跡に至るまでの歴史を簡潔に説明された掲示板がありますので、以下、引用したものを掲載します。

元海底電線陸揚室

石垣市史跡
昭和61年9月25日指定

俗にデンシンヤー(電信屋)と呼ばれているこの元海底電線陸揚室は、1897(明治30)年に建てられたもので、沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた所である。

1895(明治28)年の日清戦争終結後、日本はその領有するところとなった台湾との間に軍用海底線を敷設する必要が生じたことから、1896(明治29)年、まず鹿児島と沖縄本島との間に、ついで翌97(明治30)年、石垣島を経て台湾との間に海底線を敷いた。

これによって本土ー沖縄本島ー石垣島ー台湾間の通信施設が完成したのである。なおこの年、石垣・西表間にも海底線が敷設された。

開通したこの海底電信線は、当初陸軍省が管理していたが、のち逓信省に移管され、一般公衆用通信にも使用された。明治30年のことである。この年、石垣島では大川2番地に八重山通信所が設置され、一般公衆電報取扱いが開始されている。

なお、太平洋戦争の際には連合軍の攻撃目標となった。無数の弾痕がこれを示している。なお、この地域で無断に現状を変更することは市条例によって禁止されています。

昭和62年10月
石垣市教育委員会

引用:「電信屋跡の元海底電線陸揚室の碑文」

情報発信の先駆けとなった歴史の跡!電信屋記念碑を建立。

電信屋跡は、石垣島にある明治時代の革命的なIT跡といっても過言ではない。情報時代の原点スポット!その建物の雰囲気を感じとることができる。以下、碑文を引用。

1895年(明治28)の日清戦争終結後、日本はその領有となった台湾との間に通信回線を敷設することにし、1896年(明治29)先ず鹿児島〜沖縄本島との間に、次いで翌1897年(明治30)沖縄本島〜石垣島〜台湾間・西表島間に海底電信線を敷設した。これにより、本土〜沖縄本島〜石垣島〜台湾間の通信回線網が完成した。

当初、通信回線は陸軍省が管轄していたが、後に逓信省に移管され1897年(明治30)7月1日八重山郡大川村12番地に八重山通信所を設置し一般公衆電報の取扱いを開始した。

以来この海底電信線は明治・大正・昭和の三代にわたって政治・経済・文化その他各分野の先駆けとしての重要な使命を、担っていたが太平洋戦争の戦災を受け昭和20年に破壊された。

21世紀高度情報化社会の到来とIT新時代を迎え、電気通信システムも著しく変貌しつつあるが、この海底電線の敷設された歴史的経過を永く残すため、海底電線の陸揚げ地であるこの地に記念碑を建立する。

2001年12月吉日
電信屋記念碑建立期成会

引用:「電信屋記念碑建立期成会」

現在は情報時代と言われている。インターネットで調べることが一般的になった現代だからこそ情報施設という原点の電信屋跡にロマンを感じる。この記念碑が建立されたのも時が経つにつれて”価値”が高くなったからほかならない。

それだけ重要な位置付けになっています。例えば、この記事を投稿してから時が経つにつれて、ある意味、永久的に残る資産として価値が高まります。

しかし、面白いのは建物は時が経つにつれて朽ちていき、価値が低下しますが、大昔のものは、朽ちているのにも関わらず、そのままの状態を残そうとします。そこに人々が希少価値を感じるから他なりません。

島の歴史的建造物 廃墟 電信屋 @石垣島http://freefowls.jugem.jp/?eid=5057

それだけ、当時は電信屋という施設が画期的なもので時代の変わり目だったのでしょう。それが戦争で悲惨な目にあっても現代まで残り続けているという事は、ある共通点があります。

石垣島の戦跡(元海底電線陸揚室)ttp://www.alpha-p.gr.jp/?p=18795

時代は変わっても人々の感じ方、”価値を感じる”気持ちはいつの時代も変わらないという事です。電信屋跡がそれを立派に証明しています。「先人から学ぶ。」先人たちが残し続けてきた電信屋跡から多くの学びを得られるでしょう。

ここで、夜の電信屋を見上げてみよう。観光名所としてではなく、そこに在る自然な状態。それこそ価値ある事に意義があると感じます。

 

最低限知っておきたい石垣島の電信屋跡までアクセスと基本情報まとめ

電信屋の標識から500m先の獣道を進みます。南国の独特の生き物たちの鳴き声が聞こえ、冒険気分を盛り上げます。途中、激しい凹凸がある砂利道が続く。軽自動車で10キロも出せませんでした。原付バイクだと安定が悪く、横転する可能性があります。

轍の跡も大きく残っていますので、雨の日の翌日などは控えた方が無難でしょう。また、車1台分がやっとで通れるルートです。対向車が来た場合、広い場所から近い方がバックで譲る事になります。予めご理解ください。

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オススメの車はジープなどの車高が高いレンタカーが良いでしょう。軽自動車で言えばジムニーなどがオススメです。凸凹もスムーズに進めます。

逆に車高が低いスポーツカーなどは間違いなく地面と接触します!強引に進もうとすると最悪、動けなくなりますので車高が高いレンタカーなどをオススメします。

 

電信屋に訪れる予定のあなたは車高が高いレンタカーがオススメです

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[電信屋の基本情報]

1 跡名/電信屋(でんしんやー)

2 当時の名称/海底電線陸揚室

2 郵便番号/〒907ー0452

4 住所/沖縄県石垣市崎枝

5 営業時間/なし。

6 電信屋跡の見学料金/無料

7 無料駐車場/電信屋跡前に約6台分の駐車が可能です。

8 お手洗い・更衣室/なし。

9 周辺飲食店・販売機なし。※訪れる際は事前に弁当や飲み物の持参をオススメします。

10 お問い合わせ電話番号/0980−82−2809(石垣市観光交流協会)

11 電信屋跡の建造物の中は立ち入り禁止になっています。かなり老築が進んでおり、天井がいつ落ちてくるかわからない状態です。観光名所に定めていないのは、こういった事情も絡んでいますので、用心しましょう。

こんな方に訪れてほしい!

・石垣島の明治時代にあった電信施設の跡に関心を寄せている方(歴史に関心がある方)

・石垣島の穴場的な歴史スポットが好きな方!

電信屋跡の見どころ!

・戦争で撃たれた弾丸痕が見れます。

・明治時代の建物の造りが見どころ。

↓↓↓グーグルマップ/電信屋跡の詳細マップ

電信屋跡まで最短アクセスルートを紹介

分かりやすくひと気の多い新石垣空港・離島ターミナル・市街地(ユーグレナモール:お土産市場)から電信屋の駐車場広場まで最短アクセスをグーグルマップで表してみた。スムーズに辿り着けるようあなたの手助けになれたら幸いです。

↓↓↓グーグルマップ/新石垣空港→電信屋駐車場広場/車

[新石垣空港→電信屋駐車場広場までの基本情報]

1 アクセス時間/新石垣空港→電信屋駐車場広場まで約38分

2 距離/約23.5㎞

3 タクシー予算料金/約¥5080円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/離島ターミナル→電信屋駐車場広場/車

[離島ターミナル→電信屋駐車場広場までの基本情報]

1 アクセス時間/離島ターミナル→電信屋駐車場広場まで約33分

2 距離/約18.6㎞

3 タクシー予算料金/約¥4000円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/市街地(ユーグレナモール)→電信屋駐車場広場/車

[市街地(ユーグレナモール)→電信屋駐車場広場までの基本情報]

1 アクセス時間/ユーグレナモール→電信屋駐車場広場まで約32分

2 距離/約18.5㎞

3 タクシー予算料金/約¥3940円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

※バス停は付近にありませんので、バスでお越しを考えている方はご了承ください。

電信屋に訪れる予定のあなたはレンタカーがオススメです

石垣島ではスカイレンタカーが人気です。

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【関連】電信屋跡を降りた先に在る大崎ビーチ(通称:電信屋裏のビーチ)まで徒歩20秒!歴史スポットを訪れた後のシークレットビーチは一気に楽園の世界が広がったプライベート感覚をお楽しみいただけますよ♪

 

※本記事の情報は他サイトの情報を参考にしたものや現地で体験された時点の情報であり、情報の正確性を保証するものではありません。最新の情報は各スポットの連絡先までお問い合わせください。

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