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石垣島の国指定史跡フルスト原遺跡の住所&地図を用いた行き方を紹介

「石垣島に遺跡があるなら行ってみたいけど、どこがオススメですか?」

「口コミではルートがわかりづらいとあったので詳しく教えてください!」

「ここって石垣島の英雄が住んでいたのですか?!」

上記の3つの悩みを回答します。
↓↓↓

  • フルスト原遺跡は観光にはオススメしませんがマニアな遺跡好きには嬉しい場所だと好評です。
  • ルートについては、Googleマップでも難しいため、写真を用いてお伝えします。それがこちら!
  • 石垣島の豪族!オヤケアカハチの居城であった可能性が高いです。

【関連】:オヤケアカハチの記事を先に読めば、理解しやすくなります。

実際に現地に訪れた石垣島PR情報局スタッフが、フルスト原遺跡をご説明します。また、最低限知っておきたい基本情報を先に読みたい方はこちらからご覧いただけます。

最低限知っておきたい基本情報はこちら!

上記の内容を深掘りして解説していきます。

フルスト原遺跡について

フルスト原遺跡はいまから700年以上前(14世紀〜16世紀)の石垣市 大浜地区にある国指定の史跡です。(1978年昭和53年に指定)

石垣が野積みにされたところを見ると城跡に見えますが、屋敷の可能性が高いとされています。

というのも、出土された時に多くの生活用品などが発見されたことが明らかになっており、武器などはほとんど発見されなかったようです。このことからフルスト原遺跡は屋敷などの居住地域であったという結論に至っています。

当時の生活用品とは、「八重山焼き」「中国の陶器類」が発見されました。

フルスト原遺跡は城(ぐすく)ではなかった!石塁の魅力

また、フルスト原遺跡は時代とともに第二次世界大戦中に関わりを持っていることがわかっています。

以下、ウィキペディア引用です。

フルスト原遺跡の石塁遺構は、第二次世界大戦中に隣接する海軍石垣島南飛行場(通称平得飛行場。後の石垣空港)の爆弾痕を埋めるために持ち出されたり、畑に利用されたりする等されていたが、

発掘調査で石積みの基礎部分が確認され、1992年からの保存修理事業によって、15基中7基の石積みが復元された。また、2016年度から、崖下にインフォメーション広場、駐車場、芝生広場を備えた広場の整備が行われている。
 

石垣空港は、2013年に新石垣空港の開港に伴い供用廃止され、跡地の再開発が計画されている。

空港跡地のうち、この遺跡の南側に隣接する旧空港北東部は「歴史・文化ゾーン」とされ、博物館や石垣市伝統工芸館の移転等が予定されており、フルスト原遺跡と一体的に整備することが計画されている

引用:フルスト原遺跡ーWikipedia

フルスト原遺跡の石塁はサンゴ性の琉球石灰岩(せっかいがん)で城壁を築いています。この史跡の指定面積は12.3ha。(※haとは、可能性が高い面積の意)

フルスト原遺跡は、ちょうど面積の大きさを見渡せる範囲。ゆっくり散策しても20分ほどあれば史跡内を一周できます。

石塁は1号石塁〜15号石塁まであり、復元された石塁を見ることができました。

しかし、ほとんどの石塁に看板などは立っておらず、どの号石なのか見分けがつけません(汗)

また、草が生い茂っており石塁の中までは入ることはほとんど不可能でした。

いかにも、史跡としての雰囲気を強く感じられやすく、ほとんどの石塁はそのままの自然の状態が楽しめますよ♪

フルスト原遺跡のオススメの楽しみ方は、いきなりグーグルマップでフルスト原遺跡に寄るのではなく、石垣市立八重山博物館に立ち寄って地図を入手することができます。

詳しい情報はホームページからどうぞ!➡︎石垣市立八重山博物館

↓↓↓グーグルマップ/石垣市立ヤエヤマ博物館の詳細マップ

八重山の伝統文化の魅力がギュッと詰まった館内の様子を見学された後に、遺跡に訪れると感慨深いものがありますよ!

「生活していた場所だった事実は分かったけどオヤケアカハチがそこで生活していたってこと?」

これを解説したのが以下の内容です。

フルスト原遺跡は石垣島の英雄!オヤケアカハチの居城地!?

結論を伝えると、証拠はありません。

「ではなぜ関係しているの?」

こんな疑問がさらに出てくる方もいると思いますので説明しますね。

フルスト原遺跡と関連する資料は発見されていませんが、

「フルスト原遺跡の基は、屋敷として人が住んでいた根拠があり、そこにオヤケアカハチは大浜村を拠点にしていたことから、居城にしていた可能性は十分に考えられる」という言い伝えがあります。

簡単にオヤケアカハチの出生をお伝えすると波照間島で生まれています。

その後、石垣島の大浜村(現、大浜地区)を拠点、琉球王府に立ち向かった500年前(15世紀ごろ)の伝説の豪族と言われています。

この辺りは豪族としての活躍になりますので、詳細を知りたい方はオヤケアカハチの伝説でお伝えしています。

フルスト原遺跡の現地には、オヤケアカハチの居城であったと考えられる立て看板も設置。写真の場所は、大浜地区に在り、像と碑も近隣の崎原公園にあります。

オヤケアカハチは、英雄、もしくわ反逆者として意見が分かれるところですが、確かなことは実在した人物であり、現在はオヤケアカハチは後世に語り継がれる石垣島で最も有名な歴史人物を築いています。

【関連】:オヤケアカハチについて、魅力を知りたい方は動画とともに別記事で紹介しています。

このフルスト原遺跡では、5号石塁から大浜地区の北側に位置する宮良湾を眺望できますよ!

オヤケアカハチも、この場所から宮良の海を眺望していたのだろうか。。想像が膨らみますね。

フルスト原遺跡の魅力を一枚の資料にしたもの。参考にして訪れるとより楽しめるのでオススメ!

最低限知っておきたい!フルスト原遺跡の基本情報(アクセス・地図・住所込み)

【フルスト原遺跡の基本情報】

1 遺跡名/フルスト原(ばる)遺跡

2 郵便番号/〒907−0001

3 住所/沖縄県石垣市大浜

4 営業時間/なし。

5 電話番号/0980−82−1535(石垣市役所観光文化課)

6 FAX/0980ー82−1911

7 お手洗い/なし。

8 休憩場/なし。

9 駐車場/なし。※ただし、遺跡内には車も進入できます。

こんな方に訪れてほしい!

・穴場の歴史スポットに関心がある方!

・オヤケアカハチに関心がある方!

見どころ

・野積みされた石垣が連なるところ

・宮良湾を一望できます

・遺跡地帯の緑の景色が広がります

↓↓↓グーグルマップ/フルスト原遺跡の詳細マップ

フルスト原遺跡の南口&北口のアクセス事情を紹介!

オヤケアカハチの居城の言い伝えられているフルスト原遺跡までどのルートで行くのか?

分かりやすくひと気が最も多い新石垣空港・離島ターミナル・市街地中心地でもあるユーグレナモール(お土産市場)3スポットからフルスト原遺跡に向かう最短アクセスルートをグーグルマップで表してみた。

スムーズにフルスト原遺跡に辿り着けるようあなたの手助けになれたら幸いです。

※グーグルマップでは、南口からのルートを表しております。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/新石垣空港→フルスト原遺跡/車

[新石垣空港→フルスト原遺跡までの基本情報]

1 アクセス時間/新石垣空港→フルスト原遺跡まで約22分

2 距離/約10.3㎞

3 タクシー予算料金/約2500円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/離島ターミナル→フルスト原遺跡/車

[離島ターミナル→フルスト原遺跡までの基本情報]

1 アクセス時間/離島ターミナル→フルスト原遺跡まで約20分

2 距離/約6.2㎞

3 タクシー予算料金/約1540円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/市街地(ユーグレナモール)→フルスト原遺跡/車

[市街地(ユーグレナモール)→フルスト原遺跡までの基本情報]

1 アクセス時間/ユーグレナモール→フルスト原遺跡まで約18分

2 距離/約5.7㎞

3 おおよそのタクシー料金/約1420円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

※フルスト原遺跡周辺にはバス停がないため、バスのお越しはオススメしておりません。訪れる際は軽自動車(道が狭いため)もしくはバイクをオススメいたします。

また、フルスト原遺跡に入る道のりは砂利道になっており、凹凸が激しくなっております。雨の日の翌日などはオススメしておりません。予めご了承ください。

【口コミ話題】入口看板がある北口と南口!フルスト原遺跡までのルートを分かりやすく教えます

フルスト原遺跡まで訪れる方へ。

上記の写真の位置は北口になっており、ひたすら真っ直ぐ防風林の道を進めば遺跡に着きますが、グーグルマップでは北口の場所は表示されず、代わりに南口のルートが表示されています。

しかし、南口のルートは北口のルートよりもわかりづらく、グーグルマップを備えていても初めて訪れる方は周辺の住宅地をウロウロしてしまう方もおられるでしょう。

そこで!本記事ではグーグルマップに表示される南口から入るルートを写真を基に、より最適に案内していきますよ!この案内記事が、あなたの参考になりましたら幸いです。

南口の看版からフルスト原遺跡までのルートを案内

こちらが南口。国道390号線を北に進んで、大浜公民館を通り過ぎた先にある看板が目印。

左側の砂利道通路を通っていきます。

砂利道を進んだ先は、2手に別れた坂道と真っ直ぐの道がありますので、電柱と看板がある坂道を登っていきましょう。

ここから先は看板がなく、多くの方が迷う2手に道が別れています。ここは、右のルートに進みましょう。ちなみに真っ直ぐ行くと大浜の住宅街になります。

右のルートを進んだ先にある目印は「エアテクノサービス」という看板が目印!この先をひたすら真っ直ぐお進みくださいね。

このような獣道が50mほど続きますが、見ての通り道は狭く、軽自動車でもギリギリ!雨の日の翌日などは地面がぬかるみでした(汗)雨の日の当日、翌日はオススメしません。

バイクだと安定が悪く、徐行でなんとか遺跡まで辿り着けますので、慎重に進むことが必要ですよ!

獣道の先は、冒頭でも書いたようにタイムスリップしたような情景が広がります。そのまま轍の跡を辿っていきましょう!

轍を辿ると、別の獣道が続きますが、ここが北口に繋がるルート!先ほどの獣道よりも長い道のりになります。中の様子をみてみましょう。

道のり途中、森を切り拓いたルートがありますが、何もなく道は途中で終わっていました。

北口のルートには、このような子供達が描いた絵がいくつかあり、自然を大切に思う心を感じさせてくれます。

北口の特徴は、防風林の道のりが続きますので、森林浴を浴びる良い機会ですよ!マイナスイオンを吸い込んで自然のパワーをチャージして元気をもらおう!フルスト原遺跡にはふさわしい道のり!

自然の生き物たちも発見できる冒険気分が一層気持ちを盛り上げます!

森林の自然観察を楽しんでいる間、北口に辿り着きました。ここは「タナドー線」と言って旧石垣空港から近い場所。

この場所はフルスト原遺跡の上にある赤いマークの位置にあります。

タナドー線の入口周辺はゴミが散乱していました。

隣の看板には注意喚起の看板も立っていますので、自分のゴミは持ち帰りましょうね。

この看板は富野小学校の子供達が描いています。『きれいなしぜんにゴミがあるなんて』

「遺跡にゴミ」不似合いですよね。この看板で何かを感じていただけたら幸いです。

最後に

フルスト原遺跡には亜熱帯気候独特の多くの自然が育んでいます。

植物には、沖縄を代表するデイゴの花も見つけることができます。

一つ一つの木に、札に名前が架けられており、木の名称を覚えながら森林観察にも適したスポット!

しかし、注意も必要!植物に触れてみたらかぶれてかゆみが出るなど触れたら危険なハゼノキなどもありますので、むやみやたらに自然には触れず、あくまでも観察に留めておくのが無難です。

また、天然記念物で言えばカンムリワシ、セマルハコガメ、オカヤドカリなども時折観察することができます。まだ整備中で足場の悪い箇所もありますので注意して散策されてくださいね。

【関連】フルスト原遺跡に居城していたとされるオヤケアカハチの伝説はこちらからどうぞ。

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石垣島PR情報局編集部
石垣島出身の現地スタッフが全国の方へ全ての魅力的な石垣島スポットを正しい情報を基に独自視点でお伝えしている地域メディアになります。当メディアで紹介してほしいお店、観光地などあれば取材させていただきますので、お気軽にご相談くださいませ。