石垣島の英雄!オヤケアカハチ伝説!!碑と規格外の足跡の地とは!?

この出で立ちを偶然見た時、一瞬身体が硬直するほど圧倒された。銅像というよりは、そこに構えている戦人。現代を生きる我々と、この戦人の出で立ちの間には時間差が生まれる。思考の整理が必要なのだ。

そこではじめて、「なんだ、この銅像は。。」

やっと銅像だと認識する。ほんの3秒ほどであったか。この数秒間は心臓が口から飛び出さないように理性と思考の整理を素早く整える防衛本能に想えた。

筆者は、この先にある大浜海岸が目的であった。しかし、この戦人の眼光はそれを許さない。いや、惹き寄せられたといった方が正しいのかもしれない。

「大浜の海に訪れたければ、まずはおれを通せ!そうすれば大浜の海にある地を教えよう!!

勇気を出して、そこにいる戦人と向き合うことになった。

これからお話しする内容は実在したオヤケアカハチの物語であります。

オヤケアカハチについて

オヤケアカハチ。

この名前を聞いたことがあるだろうか?

まずは、石垣島で毎年開かれるオヤケアカハチの公演。約3分の「現代版の組踊りオープニング映像」とともに見ていきましょう。

オヤケアカハチとは、遡ること500年以上前(1500年の時代)の石垣島の英雄であり、伝説であり、石垣島の歴史上、最も人気を誇る実在した人物です。

そして、島人(方言:しまんちゅ)から最も愛されている豪族。豪族とは石垣島の大浜村(現:石垣市大浜地区)に兵力や財産などの支持を集めた一族のこと。

【関連】およそ700年以上前から大浜村にある遺跡!オヤケアカハチの居城と言い伝えられている国指定の史跡はこちらからどうぞ!

その頭角をあらわし、リーダー的な位置を築いたのがオヤケアカハチです。

オヤケアカハチが、豪族としてどんな行いをして有名になったのか、これから書いていきます。まずはこの銅像について見ていきましょう。

オヤケアカハチ銅像の大石の裏に、碑文が刻まれています。以下、引用です。

オヤケアカハチ之像

西暦一五〇〇年(明応九年)、当時の琉球王府に年貢を拒否、反旗を翻した驚天動地のオヤケアカハチの乱の主人公・オヤケアカハチの銅像。

その人物像は体つきが人並みはずれた大男、抜群の力持ち、髪は赤茶けて日本人ばなれのした精悍な顔つきの若者-と伝えられている。

正義感が強く、島民解放のため先頭に立って権力にたち向い、大浜村の人々から太陽と崇められ信望を一身に集めていた。爾来、今日まで英傑・オヤケアカハチの遺徳は大浜村の人々に「アカハチ精神」として受け継がれている。

この銅像はイメージ像をもとに現代の手法を駆使して製作したものである。

オヤケアカハチ五〇〇年実行委員会
西暦二〇〇〇年十月吉日建立

赤茶の髪とは、まさに異人とも言える。現代でも見かけることが少ない生まれつき赤茶の髪は珍しく、一目置かれるが、昔の人には異人に見えたのではないだろうか。この頭髪が原因で、オヤケアカハチは捨て子とも言われています。

※捨て子についても後ほどお伝えします。

引用にあるように、人並み外れた身体つきは強靱な足、腕が一層引き立つ!当時から日本人は小柄といわれますが、このオヤケアカハチは違う。じんべいの上から分かるように屈強の肉体であることがうかがえます。

太陽と崇(あが)められたオヤケアカハチに反射する光は、この肉体美も崇められたことでしょう。

そして、気になるのはオヤケアカハチが立っている地と指差す方向。ここで思い出すのは、冒頭でも書いたオヤケアカハチが伝えた言葉です。

「大浜の海に訪れたければ、まずはおれを通せ!そうすれば大浜の海にある地を教えよう!!

今回の目的は大浜の海、大浜海岸でもあります。まずはオヤケアカハチの銅像を知った。そこから生まれる新しい発見が大浜海岸にあるというのか?

心が踊る。好奇心というよりはまったく別の何かがこの先にある公道を進むように促されます。これからオヤケアカハチと関連する大浜の海(大浜海岸)に訪れよう。

オヤケアカハチが指差す方向に足跡!?オヤケアカハチの謎に迫る!

まずはこの場所から足跡の地に辿り着ける最短ルートを簡潔に伝えようと思う。

大浜公民館の正面入り口の道沿いを真っ直ぐ進んで右折する。目印は崎原公園と大浜小学校の間の道。その道を海岸沿いに進んで行くと多数ある海岸入り口の一つに辿り着けます。

車両止めがされているので海岸までは入れないが、手前に路駐できるスペースがある。地元の方はここでゆっくり車窓から景色を眺めるところを見かけます。

海岸入り口から見て分かる様に潮が退いているせいか、岩とサンゴがむき出しになっています。写真の通り、浅瀬のシュノーケルに不向きだとお分りいただけるでしょう。

入り口左側には大きな石がコンクリートに埋め込まれているようだ。誰が、なんの為にどうのような目的で使用されるのか、謎が深まります。こような不思議なポイントにもしっかりと意味がありました。以下、この意義深い石の説明です。

大浜の崎原公園の東側、道路を下って浜に下りたところにある願所(ニンガイジュ)です。海に向かって5つの石が横に並んで設置されています。大石、大城、ヲノミチ、コルセ、崎原の集落内五御嶽の願所です。

以前は波打ち際にあったのですが、台風で動いたり砂に埋まったりするため、1954年に現在の位置に移転建立されました。

願所は、昔大浜に住んでいた兄弟が大和の国に鉄の道具を買うため船を造り、東崎浜から出航し、ここで家族や親戚が航海の無事を祈ったという伝承があります。

大浜豊年祭(ムラプール)では、神司達はこの祈願石の前に集まり、東の海の彼方から神々を呼び寄せ、五穀のみのりに感謝し来夏の豊作と安全を願う「カースンヤー願い」が行われます。

大浜海岸以外にも、海岸周辺に多数の御嶽があります。オヤケアカハチの銅像前にもあります。

右側を見ると、この奇岩を発見。石垣島の英雄オヤケアカハチの足跡があると言われている。『奇岩』という表現をしたのは、写真では伝わりにくいのですが、何層にも岩が重ね合わさったように見えないだろうか?

重ね合わさった部分は波の様に凹凸の地層が確認できる。

それではオヤケアカハチの足跡まで登って見ますよ!

「!?」

まずこのリアクションではないだろうか(汗)撮影に訪れた石垣島PR情報局スタッフの足のサイズは26㎝。足跡の大きさは60㎝以上はあります(笑)

ここは特に管理されておらず、説明文や案内などもありません。規格外の跡地に説明ができない。巨大な奇岩に巨大な足跡がある。その事実だけが物語る場所が大浜海岸です。

もちろんここは観光名所にはなっていない。地元の人が利用する散歩スポット。だがそこに、巨大な奇岩に巨大な足跡があることを知っておいてほしい。

【関連】オヤケアカハチの足跡の地!大浜海岸の魅力を詳しく知りたい方はこちらからどうぞ

オヤケアカハチの足跡の地から引き返すと崎原公園があります。そこに、オヤケアカハチの碑が在る静かな公園までみていきましょう。

オヤケアカハチが眠る公園、オヤケ赤蜂之碑と古乙姥之碑とは?

西暦1953年(昭和28年)に建立された碑。

その碑文にはオヤケアカハチという人物が後世に語り継がれる意味が書かれています。以下、碑文に刻まれた内容です。

後世に語り継がれているオヤケ赤蜂の碑文

碑文
オヤケアカハチは一名ホンガワラアカハチとも稱(しょう)した豪勇(ごうゆう)衆にすぐれ群雄割拠のその当時大浜村を根拠として酋長に仰がれていた。

文明十八年(一四八六)中山尚真王は使者を八重山に特派してイリキヤアモリの祭祀を淫祠邪教(いんしじゃきょう)として厳禁したところ島民は信仰への不当なる弾圧だとしていたく憤慨した。

ここにおいてアカハチは島民の先頭に立って反旗をひるがえし朝貢を両三年壟断して中山の反省を求めたが尚真王は大里王子を大将とし副将並びに神女君南風らと共に精鋭三千人を兵船四十六隻で反乱鎮圧に派遣した。

アカハチは大いに防戦奮闘したが衆募敵せず恨みをのんで底原の露と消えた。時は明応九年(一五〇〇)今から四五四年前のことである。

アカハチは封建制度に反抗して自由民権を主張し島民のためにやむにやまれぬ正義感をもつて戦ったのである。戦いは利あらず敗れたけれどもその精神と行動は永く後世に光芒を放つことであろう。

ここに碑をもってその遺徳を讃えるゆえんである。

一九五三年四月十六日
オヤケアカハチ顕彰碑建立  (以下省略)

オヤケアカハチの乱が後世に英雄として語り継がれる意味とは!?

今から500年以上前、石垣島は琉球王国から納税に対する苦しい生活を余儀なくされていました。そんな苦しい生活から解放される為に島民の自由を獲得しようと琉球王府に一揆(いっき)を起こした人物がオヤケアカハチです。

琉球王府との戦に敗けたオヤケアカハチが現在でも後世に語り継がれる理由は、自分の為よりも、島民の生活を優先した勇気ある行動。

島民の意見をオヤケアカハチが主張したという行動は、正義感が強く、人望も厚かった人物として、その精神は小さな南の島、石垣島を中心に語り継がれています。

オヤケアカハチが根拠にしていた場所が大浜村(現、大浜地区)とされています。崎原公園は大浜地区にある為、そこに碑を築きました。この戦の物語をオヤケアカハチの乱と言います。

【関連】オヤケアカハチの居城と言い伝えられている国指定の史跡についてはこちらからどうぞ!

オヤケ赤蜂の碑に寄り添う妻、古乙姥之碑の物語

英雄・オヤケアカハチの像を見るhttp://rekioakiaki.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-86b2.html

オヤケ赤蜂之碑の隣に寄り添う形で古乙姥(くいつば)之碑があります。この碑は西暦2000年に建立されたオヤケアカハチの妻の碑。オヤケ赤蜂之碑が建立されてから、約50年後に真乙姥(まいつば)御嶽からオヤケ赤蜂之碑に移動されました。

中心市街地の豊年祭の舞台。真乙姥御嶽ttps://rubese.net/gurucomi/?id=1711521

長田大主には古乙姥(くいつば)と真乙姥(まいつば)の妹が2人いました。真乙姥の方は、石垣地区の真乙姥御嶽という場所にお墓があります。

オヤケアカハチの妻は石垣島の長首:長田大主(なーたふーず)の妹にあたり、長田大主はオヤケアカハチと敵対関係でありました。つまり、オヤケアカハチと古乙姥は政略結婚で結ばれていたことが資料で分かっています。

古乙姥は兄、長田大主の政略でオヤケアカハチの暗殺の使命を受けていたようです。しかし、古乙姥はいつしかオヤケアカハチの思想と正義感に惚れ込み、最後まで兄の企みに加担はせず、オヤケアカハチを愛し続け、ともに乱の中で散ったとされています。

※オヤケアカハチと古乙姥は石垣島で実在した人物。しかし、500年経つ長い歴史があり、研究された方々の後世に語り継ぐという意味で様々な見直しをされています。

【関連】オヤケ赤蜂之碑と古乙姥之碑が在る崎原公園には、期間限定の紫色のお花畑が魅了できます。

石垣島PR情報局では、それらを踏まえてオヤケアカハチに関心を寄せている資料を厳選し、参考にしております。

組踊り、『オヤケアカハチ〜太陽の乱〜』の公演をロングムービーとしてお伝えします。編集しながらの映像のため、簡潔に楽しめます。この動画で、少しでもオヤケアカハチの公演に魅力を感じていただけますと幸いです。

波照間島にオヤケアカハチの誕生の地がある

オヤケアカハチが捨て子について、捨てられた地が波照間島と言われています。

わずか2分弱の動画で、波照間島のオヤケアカハチ誕生の地の魅力が分かります。

捨てられた理由は動画でもお伝えされた「鬼の子」とありますが、他にも諸説があります。
↓↓↓
赤茶の髪色が原因とされており、神職を務めた司(つかさ)とオランダ系の西洋人の間で生まれたという諸説です。司は、産み落とすだけの役割であったとされており、その捨てられた子供を育てたのは他の司であったと言います。

現代でいうハーフの可能性もあり、屈強の身体つきは西洋人の血をひいているという裏付けも考えさせられます。また、オヤケアカハチは神の子と言われており、屈強の肉体だけでなく、人を惹きつけるリーダー質も持ち合わせていたそうです。

オヤケアカハチの銅像まで最短アクセスルートと基本情報を紹介

【オヤケアカハチの基本情報】

1 人物名/オヤケアカハチ(ホンガワラアカハチとも言う)

2 郵便番号/〒907−0001

3 住所/沖縄県石垣市大浜182

4 営業時間/なし。

5 電話番号/0980−82−1535(石垣市役所観光文化課)

6 FAX/0980ー82−1911

7 お手洗い/あり。崎原公園内※バリアフリーの設備アリ。

・盲導犬の受け入れ可。・車椅子専用お手洗い可。・スロープアリ。

8 休憩場/屋根付き休憩場アリ

9 公園場所/大浜公民館前と大浜小学校の間の道を通った先にあります。

10駐車場/なし。※ただし、車が止められる広場はアリ。(約3台分)場所は崎原公園と小学校の間の道を海岸向けに進んだ先にあります。徒歩2分で公園に着きます。
↓↓↓

こんな方に訪れてほしい!

・石垣島に実在した最も有名な歴史人物の銅像と碑に訪れたい方!

・大浜海岸に在るオヤケアカハチの足跡の地に訪れたい方!

↓↓↓グーグルマップ/オヤケアカハチの碑の詳細マップ※碑とありますが、正確には銅像になります。

オヤケアカハチの銅像まで最短ルートでお伝えします

伝説の英雄として、後世に語り継ぐふさわしい勇気と行動力の精神を持ち合わせたオヤケアカハチの銅像までどのルートで行くのか?

分かりやすくひと気が最も多い新石垣空港・離島ターミナル・市街地中心地でもあるユーグレナモール(お土産市場)3スポットから真栄里公園に向かう最短アクセスルートをグーグルマップで表してみた。

スムーズにオヤケアカハチの銅像まで辿り着けるようあなたの手助けになれたら幸いです。

↓↓↓グーグルマップ/新石垣空港→オヤケアカハチの碑(碑とあるが正式は銅像です)/車

[新石垣空港→オヤケアカハチの銅像の基本情報]

1 アクセス時間/新石垣空港→オヤケアカハチの銅像まで約16分

2 距離/約10㎞

3 タクシー予算料金/約2440円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/離島ターミナル→オヤケアカハチの碑(碑とあるが正式には銅像です)/車

[離島ターミナル→オヤケアカハチの銅像の基本情報]

1 アクセス時間/離島ターミナル→オヤケアカハチの銅像まで約14分

2 距離/約6㎞

3 タクシー予算料金/約1420円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/市街地(ユーグレナモール)→オヤケアカハチの銅像/車

[市街地(ユーグレナモール)→オヤケアカハチの銅像の基本情報]

1 アクセス時間/ユーグレナモール→オヤケアカハチの銅像まで約13分

2 距離/約6.2㎞

3 おおよそのタクシー料金/約1360円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

オヤケアカハチの銅像を目的に路線バスをお考えの方へ

市街地にあるバスターミナルから住宅地前にある大浜のバス停までのアクセス時間と料金をお伝えします。

※オヤケアカハチの銅像がある場所には、付近にバス停がありませんので予めご了承ください。

1 アクセス時間・料金/バスターミナル→バス停(大浜)

・ 11:20分発→11:36分着(16分)※乗り換えなし。

・ 6:10分発→6:33分着(23分)※乗り換えなし。

・ 14:00分発→14:18分着(18分)※乗り換えなし

・ 20:00分発→20:16分着(16分)※乗り換えなし。

・ 料金¥220円(大人)

大浜のバス停から銅像まで徒歩6分で着きます。バスの時間帯は多少変動がありますので予めご了承ください。

※NAVITAIMEのサイトを参考にした料金と時刻表でございます。実際にかかる時刻表と料金を保証する内容ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/バスターミナル詳細地図

【石垣バスターミナル基本情報】

1 施設名/東(あずま)運輸株式会社

2 郵便番号/〒907−0012

3 住所/沖縄県石垣市御崎町3番地

4 TEL0980−87−5423

5 ホームページ/http://www.azumabus.co.jp/

最後に

オヤケアカハチの諸説は、他にもあります。また、竹富島や他の八重山の島々にもオヤケアカハチが関連したスポットが複数存在しております。

しかし、かれこれ500年以上前の歴史。証拠として残っていないものの、十分オヤケアカハチが関係していると考えられるロマンを感じることができるでしょう。

確かなことは、オヤケアカハチが石垣島に存在した英雄ということ。そして、現代ではアカハチ精神として後世に残す為に毎年12月ごろに、石垣市民会館で『オヤケアカハチ〜太陽の乱〜』の公演があります。

上記のロングムービーにありましたように、現代に蘇るオヤケアカハチを魅了できる最高傑作です!

最後に、石垣島出身アーティスト成底ゆう子さんの「ダイナミック琉球」とオヤケアカハチの公演をコラボした動画を見てお別れにしましょう!

これであなたも、オヤケアカハチという素晴らしい英雄が後世に受け継ぐ精神がお分かりいただけることでしょう。あとは、生の公演でお待ちしております♪

【関連】オヤケアカハチの居城と言い伝えられている国指定の史跡についてはこちらからどうぞ!

※本記事の情報は他サイトの情報を参考にしたものや現地で体験された時点の情報であり、情報の正確性を保証するものではありません。最新の情報は各スポットの連絡先までお問い合わせください。

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