石垣島の歴史人物、オヤケアカハチが気になる人「昔の石垣島の人を知りたいな。現在の石垣島にどの様な影響を与えているのだろう?伝説・英雄・伝統行事など、石垣島に何をもたらしているのかまとめて紹介して欲しいな。」
これからお話しする内容は実在したオヤケアカハチの物語です。
[記事内]オヤケアカハチについて
ザッと、結論を3つ紹介します。
- 500年以上前の石垣島の英雄の話が当記事で得られます。
- しかし、反逆者でもあるとされているが現代でも学ぶことは多い。
- また、オヤケアカハチの公演が迫力あって面白い。
結論は「オヤケアカハチ」が最高
そして、
島人(方言:しまんちゅ)から愛されている豪族です。
しかし、オヤケアカハチの事を好きな人もいればそうでない人もいます。
とはいえ、、、毎年オヤケアカハチの現代版組踊りも公演していますので、英雄としても語り継がれています。
まずは、オヤケアカハチが豪族としてどんな行いをして有名になったのか見ていきましょう。
オヤケアカハチ之像の碑文
オヤケアカハチ銅像の大石の裏に、どういった人物なのか碑文が刻まれています。
オヤケアカハチ之像
西暦一五〇〇年(明応九年)、当時の琉球王府に年貢を拒否、反旗を翻した驚天動地のオヤケアカハチの乱の主人公・オヤケアカハチの銅像。
その人物像は体つきが人並みはずれた大男、抜群の力持ち、髪は赤茶けて日本人ばなれのした精悍な顔つきの若者-と伝えられている。
正義感が強く、島民解放のため先頭に立って権力にたち向い、大浜村の人々から太陽と崇められ信望を一身に集めていた。爾来、今日まで英傑・オヤケアカハチの遺徳は大浜村の人々に「アカハチ精神」として受け継がれている。
この銅像はイメージ像をもとに現代の手法を駆使して製作したものである。
オヤケアカハチ五〇〇年実行委員会
西暦二〇〇〇年十月吉日建立
赤茶の髪とは、まさに異人とも言えます…汗。
現代でも見かけることが少ない生まれつき赤茶の髪は珍しく、一目置かれていたようです。
この頭髪が原因で、オヤケアカハチは「捨て子」とも言われています。
引用とおり、人並み外れた身体つきは強靱な足、腕が一層引き立っています。
日本人は小柄といわれていますが、このオヤケアカハチは違っていたかと。
じんべいの上から分かるように屈強の肉体であることがうかがえますね。
気になるオヤケアカハチが指差す方向「本人の足跡」があるという噂
まずはこの場所から足跡の地に辿り着ける最短ルートを簡潔に伝えようと思う。
- オヤケアカハチの像を真っ直ぐ進む
↓↓↓ - 途中、右手にある学校と公園の脇道に右折する
↓↓↓ - 右折して進むと、今度は左手の海岸が見える方向に左折する
イメージしずらいと思うので、ここから先は写真に基づいて案内します。
実際の海岸入り口前の様子がこちら↓↓↓
車両止めがされているので海岸までは入れないが、手前に路駐スペースがあります。
海岸に出て、右側を見るとこの奇岩を発見できます。
石垣島の英雄オヤケアカハチの足跡があると言われている『奇岩。』
何層にも岩が重ね合わさったように見えることから奇岩と言われています。
重ね合わさった部分は波の様に凹凸の地層が確認できる。
「!?」
まずこのリアクションではないだろうか・・・汗
撮影に訪れた現地スタッフの足のサイズは26㎝。
足跡の大きさは60㎝以上はあります(笑)
ここは特に管理されておらず、説明文や案内もありません。
規格外の跡地に説明ができない。。
巨大な奇岩に足跡…その事実だけが物語る場所が大浜海岸です。
さて、
オヤケアカハチの足跡の地から引き返すと公園があります。
そこに、オヤケアカハチの碑が在るのでみてみましょう。
崎原公園にオヤケアカハチの碑。「英雄と語られた理由」
結論、この公園に来たら身が引き締まりました。
「なぜ公園に碑が?」
それはこの地区にオヤケアカハチが住んでいたとされるエリアであり、適した場所とされています。
西暦1953年(昭和28年)に建立された碑。
その碑文にはオヤケアカハチが後世に語り継がれる意味が書かれています。以下、碑文に刻まれた内容です。
✔︎後世に語り継がれているオヤケ赤蜂の碑文
碑文
オヤケアカハチは一名ホンガワラアカハチとも稱(しょう)した豪勇(ごうゆう)衆にすぐれ群雄割拠のその当時大浜村を根拠として酋長に仰がれていた。文明十八年(一四八六)中山尚真王は使者を八重山に特派してイリキヤアモリの祭祀を淫祠邪教(いんしじゃきょう)として厳禁したところ島民は信仰への不当なる弾圧だとしていたく憤慨した。
ここにおいてアカハチは島民の先頭に立って反旗をひるがえし朝貢を両三年壟断して中山の反省を求めたが尚真王は大里王子を大将とし副将並びに神女君南風らと共に精鋭三千人を兵船四十六隻で反乱鎮圧に派遣した。
アカハチは大いに防戦奮闘したが衆募敵せず恨みをのんで底原の露と消えた。時は明応九年(一五〇〇)今から四五四年前のことである。
アカハチは封建制度に反抗して自由民権を主張し島民のためにやむにやまれぬ正義感をもつて戦ったのである。戦いは利あらず敗れたけれどもその精神と行動は永く後世に光芒を放つことであろう。
ここに碑をもってその遺徳を讃えるゆえんである。
一九五三年四月十六日
オヤケアカハチ顕彰碑建立 (以下省略)
【解説】オヤケアカハチの乱
今から500年以上前、石垣島は琉球王国から納税に対する苦しい生活を余儀なくされていました。
そんな苦しい生活から解放される為に島民の自由を獲得しようと琉球王府に一揆(いっき)を起こした人物がオヤケアカハチです。
琉球王府との戦に敗けたアカハチが現在でも後世に語り継がれる理由は、
自分の為よりも、島民の生活を優先した勇気ある行動です。
島民の意見をオヤケアカハチが主張した行動は正義感が強く人望も厚かった人物として、
その精神は石垣島を中心に語り継がれています。
オヤケアカハチが根拠にしていた場所が大浜村(現、大浜地区)とされています。
崎原公園は大浜地区にある為、そこに碑を築きました。この戦の物語をオヤケアカハチの乱と言います。
参考までにオヤケアカハチの居城とされるフルスト原遺跡も読むとオヤケアカハチを深く知ることができます。
オヤケ赤蜂の碑に寄り添う妻、「古乙姥之碑」の物語
オヤケ赤蜂之碑の隣に寄り添う形で古乙姥(くいつば)之碑があります。
この碑は西暦2000年に建立されたオヤケアカハチの妻の碑。
オヤケ赤蜂之碑が建立されてから、約50年後に真乙姥(まいつば)御嶽からオヤケ赤蜂之碑に移動されました。
少々、オヤケアカハチの宿敵のお話をします。
長田大主(なーたふーず)には古乙姥と真乙姥(まいつば)の妹が2人いました。
真乙姥の方は、石垣地区の真乙姥御嶽という場所にお墓があります。
オヤケアカハチの妻は石垣島の長首:長田大主の妹にあたり、長田大主はオヤケアカハチと敵対関係でありました。
つまり、オヤケアカハチと古乙姥は政略結婚で結ばれていたことが資料で分かっています。
古乙姥は兄、長田大主の政略でオヤケアカハチ暗殺の使命を受けていたようです。
しかし、古乙姥はいつしかオヤケアカハチの思想と正義感に惚れ込み、最後まで兄の企みに加担せずオヤケアカハチを愛し続け、ともに乱の中で散ったとされています。
※石垣島PR情報局では、
それらを踏まえてオヤケアカハチに関心を寄せている資料を厳選し、参考にしております。
とはいえ、オヤケアカハチは石垣島で生まれた訳ではありません。
波照間島にオヤケアカハチ誕生の地がある
捨てられた理由は動画の通り鬼の子とありますが、他にも赤茶の髪色が原因とされてる諸説もあります。
神職を務めた司(つかさ)とオランダ系の西洋人の間で生まれたというもの。
司は、産み落とすだけの役割であったとされており、その捨てられた子供を育てたのは他の司であったと言います。
オヤケアカハチは現代でいうハーフの可能性もあり、屈強の身体つきは西洋人の血をひいている裏付けもあります。
また、オヤケアカハチは神の子と言われています。
オヤケアカハチの銅像まで最短アクセスルートと基本情報を紹介
- 人物名/オヤケアカハチ(ホンガワラアカハチとも言う)
- 〒/907−0001
- 住所/沖縄県石垣市大浜182
- 営業時間/なし。
- 電話番号/0980-82-1535(石垣市役所観光文化課)
- FAX/0980-82-1911
- お手洗い/崎原公園内(※バリアフリーの設備アリ)
- 盲導犬の受け入れ可・車椅子専用お手洗い可
- 駐車場/なし。
※ただし、車が止められる広場はアリ。(約3台分)場所は崎原公園と小学校の間の道を大浜海岸向けに進んだ先にあります。徒歩2分で公園に着きます。
それがこちら。
こんな方に訪れてほしい!
・石垣島に実在した最も有名な歴史人物の銅像と碑に訪れたい方!
・大浜海岸に在るオヤケアカハチの足跡の地に訪れたい方!
↓↓↓グーグルマップ/オヤケアカハチの碑の詳細マップ※碑とありますが、正確には銅像になります。
まとめ
オヤケアカハチの諸説は他にもあります。
また、竹富島や他の八重山諸島にもオヤケアカハチが関連したスポットが複数存在しています。
しかし、かれこれ500年以上前の歴史。
証拠として残っていないものの、十分オヤケアカハチが関係していると考えればロマンを感じることができるかと。
確かなことは、オヤケアカハチが石垣島に存在した英雄という事実。
そして、現代ではアカハチ精神として後世に残す為に毎年12月頃に石垣市民会館で公演がありました。
参考までにオヤケアカハチの現代版組踊りもご覧ください。
というわけで今回は以上になります。 ここから先は実際に銅像まで足を運んでみたい方だけ読み進めください。
オヤケアカハチの銅像まで最短ルートでお伝えします
伝説の英雄オヤケアカハチの銅像まで、
ひと気が多い石垣空港・離島ターミナル・市街中心地にあるユーグレナモール(お土産市場)3スポットから銅像までの最短アクセスルートを表してみた。
↓↓↓新石垣空港→オヤケアカハチの碑(碑とあるが正式は銅像です)/車
[新石垣空港→オヤケアカハチの銅像の基本情報]
- アクセス時間/新石垣空港→オヤケアカハチの銅像まで約16分
- 距離/約10㎞
- タクシー予算料金/約2440円
※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。
↓↓↓離島ターミナル→オヤケアカハチの碑(碑とあるが正式には銅像です)/車
[離島ターミナル→オヤケアカハチの銅像の基本情報]
- アクセス時間/離島ターミナル→オヤケアカハチの銅像まで約14分
- 距離/約6㎞
- タクシー予算料金/約1420円
※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。
↓↓↓市街地(ユーグレナモール)→オヤケアカハチの銅像/車
[市街地(ユーグレナモール)→オヤケアカハチの銅像の基本情報]
- アクセス時間/ユーグレナモール→オヤケアカハチの銅像まで約13分
- 距離/約6.2㎞
- おおよそのタクシー料金/約1360円
※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。
オヤケアカハチの銅像を目的に路線バスをお考えの方へ
大浜のバス停から銅像まで徒歩6分で着きます。バスの時間帯は多少変動がありますので予めご了承ください。
↓↓↓グーグルマップ/バスターミナル詳細地図
- 施設名/東(あずま)運輸株式会社
- 〒/907-0012
- 住所/沖縄県石垣市御崎町3番地
- TEL/0980-87-5423
- HP/http://www.azumabus.co.jp/
※本記事の情報は他サイトの情報を参考にしたものや現地で体験された時点の情報であり、情報の正確性を保証するものではありません。最新の情報は各スポットの連絡先までお問い合わせください。