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人魚伝説が関係する自然災害!石垣島の明和の大津波と遭難者慰霊之塔

「観光よりも石垣島の歴史に関心があります!特に明和の大津波はどれぐらい凄まじかったのでしょうか?」

「〇〇海岸に行けば当時の津波石に触れることができると聞いたのだけれどどこにありますか?」

「人魚が関係している自然災害て何?!興味あります!!」

こんな方に向けて現地人の石垣島PR情報局スタッフが、『明和の大津波の歴史』を事実に基づき、伝説の民話の動画を絡めながらわかりやすく説明しました。また、先に人魚伝説を知りたい方はこちらからご覧いただけます。
↓↓↓
【番外編】人魚が津波を予言していた?!

上記の3つの悩みを解きながら事実と民話を解説していきます。

明和の大津波について

現在の石垣島の人口は約50000人。

1771年4月24日(明和3年3月10日)午前8時前までは17549人の人口と言われていました。津波地震が起きた後の人口は、9069人。この差、8480人の命が津波による被害に遭いました。

今から248年前の八重山を襲った自然災害。明和の大津波の歴史に触れていきます。

写真は津波で打ち上げられたと語り継がれている津波石。場所は白保海岸です。

石垣島を襲った八重山地震の呼び名は様々で、元号からとった明和の大津波とも言われており、石垣島ではこの名称が一般的に呼ばれています。

大きな地震ほど地中の岩が瞬時にズレていきますが、明和の大津波は大きな地震であったにも関わらず、長時間かかって岩がズレていったと言われています。この地震を通称:ぬるぬる地震(津波地震)とも言う。

その後に津波が襲うまでほとんどの人は気づかなかったそうです。

津波に気づくまで岩のズレがゆっくりだった為、震源地に気づきにくく、逃げ遅れた方は津波の被害に遭われた方が多いと言われています。

※一部、明和の大津波がくる以前から津波がくる予知を知っていた島民たちがいます。詳細は最後の見出しにて説明。

当時の推定マグニチュードは7.4−8.7。

石垣島の推定震源は4とされています。地震による被害がなかったのは、上記の説明通り。津波による被害だけが大きかったと言っても過言ではありません。波の高さは諸説ありますが、一番大きな波で約30m。

津波高さの補足説明

なお、85m説は八重山の歴史・民族研究家の(故)牧野 清さんの調査で明らかになっています。この85mの津波高さは日本史上最高の高さとされてきましたが、後の測量数値計算の調査研究により、約30mの高さだと推定を改めました。

他にも25mの高さという推定もありますが、いずれにせよ、30m前後の高さである結果であることは現在の科学で判明されています。 


津波石は、現在もそのままの状態で大きな爪痕が残されています。石垣島にある巨大津波石は合計5つあります。

津波石群は、天然記念物に指定されており、津波災害の教訓は後世に残すように語り継がれています。

その後世に語り継がれている慰霊祭の場所が次の通りです。

明和大津波遭難者慰霊之塔について

明和大津波遭難者慰霊之塔(めいわおおつなみそうなんしゃいれいのとう)は、明和の大津波による石垣島の犠牲者を祀った慰霊の碑です。場所は宮良地区のタスナー原という場所にひっそりとあります。

慰霊の碑には当時の津波の様子を表した碑文が刻まれています。以下、引用です。

碑文

八重山の古記録「大波之時各村之形行書(おおなみのときのかくむらのなりゆきしょ)」によれば、乾隆36年(日本年号明和8年)3月10日(1771年4月24日)午前8時ごろ大地震があり、それが止むと石垣島の東方に雷鳴のような音がとどろき、間もなく外の瀬まで潮が干き、東北東南海上に大波が黒雲のようにひるがえり立ち、たちまち島島村村を襲った。

波は三度もくりかえした。史上有名な八重山の明和大津波である。津波は石垣島の東岸と南岸で激甚をきわめ、全半潰あわせて13村、ほかに黒島、新城2村が半壊し、遭難死亡者は9313人に達した。

こうして群島の政治、経済、文化の中心地石垣島は壊滅的打撃をうけ、加えてその後の凶作、飢饉、伝染病などによる餓死者、病死者も続出して人口は年年減少の一途をたどり、人頭税制下の八重山社会の歩みを一層困難なものとし、その影響はまことに計り難いものがあった。

この天災から212年、狂瀾怒涛のなかで落命した人人のことを思うとき、いまなお断腸の念を禁ずることができない。

このたび有志相謀り、群島全遭難死亡者のみたまを合祀してその冥福を祈り、あわせてこの未曾有の災害の歴史が永く後世に語りつがれていくことを念願し、島内外各面の浄財と、石垣市、竹富町、与那国町並びに諸機関、団体の御協力を仰いで、ここにこの塔を建立した。

1983年(昭和58)4月24日  明和大津波遭難者慰霊碑建立期成会

碑文を読まれた方はわかるとおもいますが、

津波後の二次被害ともいうべき生活の困窮と疫病の方が長い時間をかけて人々を苦しめました。当時の人頭税(島民一人一人の存在に税金が発生する仕組み)がますます島民を苦しめました。

【関連】:ちなみに500年以上前にも人頭税で苦しんだ時代がありました。それを打破しようとして琉球王府に攻めた石垣島の豪族オヤケアカハチという人物を知れば石垣島の歴史の知識が深まります。

続いて明和の大津波による八重山の災害を具体的な数字を表しています。

明和大津波災害関係諸記録抜粋

地震の規模と位置(東京天文台編理科年表による)M(マグニチュード)7.4

震源地 東経124.3度 北緯24度 「八重山地震津波」と記録 (石垣島白保崎南南東40キロメートルと測定される)津波の状況(大波之時各村之形行書による)

石垣島で 「潮揚高貮拾8丈(84.8メートル)或貮拾丈(60.6メートル) 或貮拾五 六丈(75.7~78.7メートル)或貮 参文(6~9メートル) 沖ノ石陸へ寄揚 陸ノ石並大木根乍被引流」 とある

災害の状況(大波之時各村之形行書 御手形写御間合控等による)

全壊した村

石垣島の真栄里・大浜・宮良・白保・仲与銘・伊原間・安良・屋良部の計8村

半壊した村

石垣島の大川・石垣・新川・登野城・平得、離島の黒島、新城の計7村

遭難死亡者

総計9,313人(群島人口の32.22%に当る)内 石垣島8815人(94.7% 在番 頭職等の公職者88人及び蔵元の公用で離島からきて遭難死亡した376人を含む)黒島293人(3.1%)新城島205人(2.2%)

住家の全潰

総計2176戸、浸水1003戸

田畑の流出

総計1642町4反5畝12歩

作物被害

田畑総計1795町2反6畝10歩

その他の流潰流出

蔵元庁舎、村番所13棟、会所4棟、御嶽14棟、橋梁6座、桃林寺及び同寺の仁王像二体、権現宮、貢納米等

石垣島は人口の3分の1の方々が被害に遭いました。それだけではなく、生きるための術を奪った自然災害の脅威を忘れてはいけない教訓があります。

現代を生きる人々はこういった事実と向き合い、万が一このような事態が起きた場合、何をすべきか迅速な判断と冷静さを備える必要性を考えさせられます。

石垣島では至る所に避難標識の立看板が設置されており、避難所を目指す場所を知っているだけで安心して迅速な行動ができます。

そして、このような災害が起きたという事実は、今後の後世に残して行く為にも語り継いでいく、大変意義深い場所です。

そして、脅威だけでなくそこに縁結びの背景があることは世の中に知られていません。

明和の大津波から避難した伝説の場所!タコラサー石と縁結びの話【実話です】

ここから先はタイムスリップした話をします。

明和の大津波が石垣島の宮良村(現:宮良地区)を襲った時、避難した場所がタフナー原にあるタコラサー石(明和大津波遭難者慰霊之塔の入り口にあります。)

津波の脅威が静まるまで、この石の前では夜に松明(意味:木に火をつける)を点けて過ごしていると、その明かりを頼りに人が次々とこの地にたどり着き、津波災害から難を逃れた言い伝えがあります。

お互いに励ましあったこの石の前では、人と人の距離が縮まり、やがて信頼関係が生まれ共同生活に到るまでになりました。この縁がキッカケとなり、ある2人が結ばれています。

農作業をしていた運天筑登之(ちくどぅん)と外本御嶽の神司をしていた大久ウナリの縁結びのお話です。

詳しくは明和の大津波が宮良村をのみ込む一部始終を目撃した『運天筑登之』から、代々継承されてきた、語り継がれる津波目撃談のお話です。具体的に当時の体験談を継承した方のお話を聞いてみたい方はこちらからどうぞ。

巨大津波 1771年八重山地震 明和の大津波

体験談の補足説明

 リンク先の始めに津波大石の写真から始まりますが、この石について簡潔に説明します。

津波大石は明和の大津波で運ばれてきた石として長年語り継がれてきましたが、実は明和の大津波よりも遥か昔の津波石であることが判明。

遡ること約2000年前の先島津波による津波石として2013年に科学の発展により、天然記念物に指定されました。

津波大石(つなみうふいし)を具体的に動画でまとめた記事があります。こちらの記事も読めば、より津波災害の脅威と教訓を知ることができます。

2000年前の津波大石と人のサイズ比較

ここまでが、明和大津波遭難者慰霊之塔をお話しました。

ここから先は人魚が津波を起こした伝説をお伝えしていきますが、その前に基本情報をまとめます。

明和大津波遭難者慰霊之塔の基本情報

【明和大津波遭難者慰霊之塔の基本情報】

1 スポット名/明和大津波遭難者慰霊之塔(めいわおおつなみそうなんしゃいれいのとう)

2 郵便番号/〒907ー0243

3 住所/沖縄県石垣市宮良

4 無料駐車場/なし。車で訪れた方は、路駐になります。幸い、行き止まりの場所になっております。

5 設備/なし。

↓↓↓グーグルマップ/明和大津波遭難者慰霊之塔の詳細マップ

人気のある場所から明和大津波遭難者慰霊之塔まで最短ルート紹介

八重山の過去の自然災害の中で最も被害が出た明和の大津波。そこに被害者を祀った明和大津波遭難者慰霊之塔までどのルートで行くのか?

分かりやすくひと気が最も多い新石垣空港・離島ターミナル・市街地中心地であるユーグレナモール(お土産市場)

3スポットから明和大津波遭難者慰霊之塔に向かう最短アクセスルートをグーグルマップで表してみた。スムーズにたどり着けるようあなたの手助けになれたら幸いです。

↓↓↓グーグルマップ/新石垣空港→明和大津波遭難者慰霊之塔/車

[新石垣空港→明和大津波遭難者慰霊之塔の基本情報]

1 アクセス時間/新石垣空港→明和大津波遭難者慰霊之塔まで約16分

2 距離/約6.7㎞

3 タクシー予算料金/約1840円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/離島ターミナル→明和大津波遭難者慰霊之塔/車

[離島ターミナル→明和大津波遭難者慰霊之塔までの基本情報]

1 アクセス時間/離島ターミナル→明和大津波遭難者慰霊之塔まで約24分

2 距離/約8.6㎞

3 タクシー予算料金/約2200円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金表を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

↓↓↓グーグルマップ/市街地(ユーグレナモール)→明和大津波遭難者慰霊之塔/車

[市街地(ユーグレナモール)→明和大津波遭難者慰霊之塔までの基本情報]

1 アクセス時間/ユーグレナモール→明和大津波遭難者慰霊之塔まで約22分

2 距離/約8.2㎞

3 おおよそのタクシー料金/約2080円

※JapanTaxiのサイトを参考にした予算料金でございます。実際に掛かる料金を保証する金額ではございません。予めご了承ください。

※周辺にバス停がない為、バスのお越しはオススメしておりません。訪れる際は、レンタカーもしくはタクシーのお越しをオススメいたします。予めご了承ください。

【番外編】明和の大津波の背景は人魚伝説が関係する民話があります

この場所は星野地区の星野共同売店の隣、星野は人魚の関連性が高い場所。

ここの公道を南向けに300m車で1分走ったところに人魚の里(自家製コーヒー屋)があります。人魚伝説を聞くならこの2箇所の店主に聞いて旅をしてみるのも面白い。

※ちなみに系列はしていない別々のお店です。

↓↓↓グーグルマップ/星野共同売店

ここから先は、八重山民話の1つ、人魚伝説の物語が眠る場所の民話を動画も絡めてお伝えします。

大まかな伝説をお話しますと、明和の大津波が石垣島に襲いかかる前に実は人魚が、ある石垣島民達にだけ「大きな津波が来る」ことを知らせました。

この話を直接人魚から聞いた複数の島民達は人魚の言葉を信じ、対策をして津波被害には遭わなかったというお話です。

信じるか信じないかは、この動画を見たあなた次第ですが、今回紹介する人魚伝説は、ストーリーを重視しした内容です。わかりやすくイメージしていただけるように厳選しました。

これは余談ですが石垣島の川平湾にも人魚像があります。

それがこちら↓↓↓

上記の動画と直接関係していませんが、川平湾の人魚伝説の特徴は真珠が大きく関係しています。

物語を読んでみましょう。

川平湾の人魚物語

その昔、村の若者が漁をしていると人魚がとれました。そのころ人魚は不老長寿の薬とされていたので、捕まえるのが常でしたが、大変美しい娘(人魚)であったので若者は村人の止めるのも聞かずに、人魚を海に返してしまいました。

若者は村から追われ、行き場を失ったので娘(人魚)が哀れに思い、自分の国へと連れて帰りました。人魚の国の長老は「娘を助けてくれたので、かの地で二人で暮らせ」と言って見事に光輝く黒蝶真珠を取り出し若者と娘(人魚)に与えました。

二人はこの地へ移り住み子沢山に恵まれ幸せな一生を送りました。それゆえに真珠を身につけ人魚にふれると願い事がかなえられると言い伝えられています。

人魚が関係する自然災害。

にわかには信じがたいですが、人知を超えた未知の世界をあなたはどのように捉えますか?興味があるという方は明和の大津波編の石垣島の人魚伝説を記事にしている内容も紹介しています。

▶︎日本の民話・妖怪 語りおろし]人魚の教えた大津波

人魚伝説の話に出る白保村

 白保村は八重山で最も津波被害者が出た場所。白保海岸には、明和の大津波石ではないか?とされる石が密かに語り継がれており、その写真がこちらです↓↓↓

実際の明和の大津波石に触れてみたいのであれば白保海岸に訪れてみてくださいね。通常の海岸にある石よりもかなり大きく、自然の脅威をまざまざと見せつけられます。

最後に

明和大津波遭難者慰霊之塔では、年一回程明和大津波遭難者慰霊祭を実施、後世に語り継ぐ為に忘れてはいけない再確認とご冥福を祈る石垣島の行事です。石垣市の行政機関や一般市民も参加されます。

この地に訪れる方へ。

 明和大津波遭難者慰霊之塔は神聖な場所。原則、観光スポットではないため、大声を出したり建造物に触れたりするのは控えた方がよいでしょう。

見学のみに止まる場所ですが、心穏やかに慎んで見学させていただいているという謙虚な心が大切です。

どうしても気楽に自由見学をされたい方は直接、白保海岸の津波石まで訪れて触れてみることをオススメします。

↓↓↓グーグルマップ/白保海岸の詳細マップ

【関連】:川平湾の人魚像に出てくる民話は隣の川平琉球真珠店と真珠繫がりで関係しています。実は世界初の黒蝶真珠の養殖に世界したのが川平湾の海です。

琉球真珠本店の詳細情報はこちら

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石垣島PR情報局編集部
石垣島出身の現地スタッフが全国の方へ全ての魅力的な石垣島スポットを正しい情報を基に独自視点でお伝えしている地域メディアになります。当メディアで紹介してほしいお店、観光地などあれば取材させていただきますので、お気軽にご相談くださいませ。